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ザ・クロマニヨンズの真島昌利、ヒックスヴィルの真城めぐみ、中森泰弘による新しいバンド“ましまろ”が1stフル・アルバム『ましまろ』を完成させた。先行シングル『ガランとしてる』(2015年5月)、真島が松たか子に提供した『ずっと』のカバー、中森の作詞作曲によるアコースティックな手触りのポップナンバー『いつかどこかできっとまた』などを含む本作は、心地いいノスタルジックをたたえたフォーク/ロックンロールをじんわりと楽しめる作品に仕上がっている。80年代の新宿で出会ったという3人に“ましまろ”についてゆったりと語ってもらった。
Photo:竹中圭樹(D-CORD) Text:森 朋之

──真島さん、真城さん、中森さんは1980年代はじめ、新宿のJAM STUDIO(ライブハウス)で出会ったとか。



真城めぐみ(以下、真城)「私はお客さんとしてJAM STUDIOに行ってたんです。その頃、マーシー(真島)はTHE BREAKERSというスーパーバンドをやっていて」

真島昌利(以下、真島)「いやいや…そんなんじゃないよ」

真城「スーバーバンドだったよ!」

──真城さん、中森さんも“ザ・ペイズリーブルー”などで80年代からバンド活動をスタート。その後“ロッテンハッツ”“ヒックスヴィル”などで活躍してきたので、真島さんともセッションの機会があってもおかしくないような気がしますが…。

真城「それはなかったんですよね、1回も」

中森泰弘(以下、中森)「うん、ないですね」

真城「私は遠くからマーシーの活躍を見ている感じで」

真島「何となくゆるい感じで交流はあったんですけどね」
真城「例えばフェスで会ったら“ああ〜”って挨拶したり」

真島「あと、地元に全然音楽と関係ない共通の友人がいたり」

真城「そのおかげで関係が続いてきたところもあるんですよね。“この前、マーシー来たよ”みたいな感じで」

真島「その友人が4〜5年前にロカビリーバンドを始めたんですよ、いいトシこいて。そのライブをみんなで見に行くために集まったりして、そういう機会が増えてたんですよね」

中森「バーでやるライブね(笑)」

真島「そうそう(笑)。で、その人が“真島と真城で、ましまろっていうバンドをやればいいじゃん”って無責任な感じで言い出して」

──それが“ましまろ”結成のキッカケですか?

真島「と言っても、それが3年くらい前の話だけどね」

真城「その後もことあるごとに“『ましまろ』やればいいのに”って言い続けていて」

真島「“やれやれ”ってしつこいから、“じゃあ、やろうか”って話になって。それが去年の春くらいかな」

真城「そうだね。とりあえずライブをやろうってことだったのか、音源を作ってみる? ということだったのか、よく覚えてないんだけど」

真島「最初はロカビリーバンドの前座をやろうって話だったんですけどね」

──あ、その友達のバンドですか?

中森「そうですね」

──その後、スタジオに入ったりしたんですか?

真城「いや、入ってないんですよ」

中森「さっきから話に出ている“友人”はデザイナーなんですけど、その人の事務所で集まって…」

真城「住宅街なんですけどね

──音を出しても大丈夫なんですか?

真島「その人は“大丈夫”って言ってたけど、ホントかどうかは分かんない」

真城「苦情はまだ来てないけどね(笑)。ただ、マーシーは小さい声で歌えないみたいで、すごく大きい声で歌うんですよ」

真島「ハハハハ」

真城「“僕が作ったのはこんな歌だよ”って、大きい声で歌ってくれて。キーを高く設定してたっていうのもあるんだけど」

中森「“真城”用にね」



※続きは月刊Songs9月号をご覧ください。

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